アントニ・ガウディが亡くなる直前までミサに参加するため通っていた教会「サン・フェリペ・ネリ教会」について。
サン・フェリペ・ネリ教会前の広場に立つアカシアの木。ガウディの命日に訪れると、アカシアの黄色い花が静かに散っていてまるで金色のシャワーが降るかのようでした。
ガウディが通っていたバルセロナ旧市街の教会
建築家アントニ・ガウディが最後までミサに通い続けていた場所が「サン・フェリペ・ネリ教会」です。ガウディは毎晩ミサに参加するためこの教会に通っていました。1826年6月7日の夕方、ここへ向かう途中、路面電車との事故に遭い病院に搬送され、その3日後に亡くなりました。
ガウディの誕生と死にまつわる9の逸話【6月はガウディ誕生日&命日の月】 - ばるログ in バルセロナ
サン・フェリペ・ネリ教会はバルセロナ旧市街ゴシック地区の小さな迷路のような路地の先にあります。教会の前の小さな広場はサン・フェリペ・ネリ広場と呼ばれます。広場には可愛らしい噴水があって、心が落ち着く場所です。
- サン・フェリペ・ネリ教会(Iglesia de San Flipe Neri )
- 場所:Plaça de Sant Felip Neri, 2, 08002 Barcelona
サン・フェリペ・ネリ教会の歴史
この教会は1673年にこの場所に定住したフェリポネ修道院の付属教会として生まれました。1721年-1752年の時期に建てられたバロック様式の建物です。建築家ペレ・ベルトラン(Pere Bertran)が建設者サルバドール・オウシッチ・イ・フォント(Salvador Ausich i Font)の助けを借り、彫刻家のペレ・コスタ(Pere Costa)とカルレス・グラウ(Carles Grau)による装飾が施された作品です。
スペイン市民戦争の傷痕が残る教会の壁
1926年にガウディが亡くなった数年後、スペイン内戦が起こりました。サン・フェリペ・ネリ教会の正面入り口の壁には、今も生々しい弾丸の傷跡が残っています。これは1938年 1月、スペイン戦争の最中に、フランコ側の軍による砲撃によるもの。この時42人が亡くなり、そのうちの多くは子供だったそうです。当時、教会の隣には幼稚園があり、そこに通う子供たちは空襲から逃れるため教会の地下へ避難していました。この壁の砲弾の傷跡は修復されないまま、今も残されています。
この周辺はゴシック地区の古い町並みが素敵。一年中観光客で一杯のエリアですが、新型コロナの影響で渡航制限が続いている今は人もまばらでとても静か。こんなにゆったりとバルセロナ旧市街を散策できるのは貴重なこと。人の気配がしない旧市街は、ほんとうに時代が昔に引き戻されてしまったような、不思議な空気が漂っていました。
【参考にしたサイト】
Plaça Sant Felip Neri - Visit Barcelona
Iglesia de San Felipe Neri (Barcelona) - Wikipedia, la enciclopedia libre
▼こちらの記事もおすすめ。
足元に注目!バルセロナの歩道に咲くお花のタイル「バルセロナ・フラワー」
お土産にしたい!ミュシャのデザインが素敵なスペイン最古のチョコレートブランド【アマトリェール AMATLLER アマリエ】(バルセロナ)